鼻ぐり井出
熊本県菊池郡菊陽町曲手(白川に架かる鼻ぐり大橋の真下)


「鼻ぐり」とは慶長13年(1608年)に、当時の肥後藩主である加藤清正が新田開発を目的に菊陽町の馬場楠堰を源に白川左岸の曲手〜辛川〜熊本市上南部〜大江渡鹿まで至る総延長13キロの農業用水路(馬場楠井出)の一部であり、この「鼻ぐり」の位置する中須山(約390m間)は堅い岩盤を底深く幅広く掘らなければならないうえ、水路底との標高差が20メートルにもなり、建設コストや維持管理も容易ではないし、何より阿蘇の火山灰が堆積する事も予想され、深い谷まで降りて火山灰を取り除くには大変な労力が必要になってきます。
そこで考え出されたのが「鼻ぐり」工法です。「鼻ぐり」とはつまり、岩盤掘削時に深さ20メートルの川底に高さ4m×幅1mの仕切岩盤を残し、水の通る下辺には直径約2mの穴が交互にくり抜かれ、上流より流れ来る水はこの「鼻ぐり」を通過時に渦を巻きながら流れる事になり、この水の動きによって流れくる火山灰は舞い上がり、底に堆積することなく下流に流れる仕組みになっているのです。この画期的工法は全国的にも類がなく壁に開けられた穴が牛の鼻輪に似ていることから通称「鼻ぐり井出」と呼ばれています。
「鼻ぐり」は当時80基ほどあったと記録されいるようですが、現在は24基が残されています。


鼻ぐり大橋の真下に残る「鼻ぐり」(鼻ぐり公園から見学出来ます。) 2008.02.20


鼻ぐり公園から上流側に続く鼻ぐり遺構群 2008.02.20 


これより鼻ぐり井出地底に下りての画像ですが、たまたま上流の改修工事中で水が流れていなかったため菊陽町の許可を得て写したもので、
水が流れている時は非常に危険な区域となりますので、絶対に立ち入らないようにしてください。


幾重にも重なる鼻ぐりの間からは光が差し込み、不思議なコントラストとなっています。 2008.02.20

左側にあるのは工事用の階段通路の跡です。調査によると様々な形で57箇所も残っており、かなりの難工事だったことが推測されます。 2008.02.20


上部に白く見える所は特殊樹脂剤により補強工事を行った場所です。
地層に色の変化が見えますが、これも阿蘇火山噴火の歴史でしょうか?

2008.02.20

つい数日前までは家庭ゴミやペットボトルが散乱してましたが、その後清掃作業が
行われ、昔ながらの川底が再現されていました。 2008.02.20



この鼻ぐり右手にも工事用階段通路が作られています。  2008.02.20

これだけの大掛かりな工事を重機などもない江戸時代にどうやって行ったのか想像を絶します。 2008.02.20


手前に見えるのは右側半分が欠落した鼻ぐりです。こうやって自然に崩壊した物もあれば、理由は定かではありませんが、
江戸時代に52基の鼻ぐりが破壊されたという記録も残されているようです。 2008.02.20


HOME 九州の現近代化遺産トップへ